大西羊『作文集』

作文を書きます。小説も、書くかもしれません。

猫も憐れまない

アジフライを食べながら

スーパーで半額シールが貼られているのは、昼過ぎに限られる。朝はまだことこと作っている途中だし、昼に並んでいるのはできたてのあつあつのお惣菜である。昼過ぎになってたくさんの人たちに見過ごされた惣菜たちだけが、半額の恩寵を受けることができる。夜更けになるとそもそも何も残っていない。そのためにお惣菜にも、半額シールにもありつけない。

ただ、一日のほとんどの時間を半額のままで過ごしている惣菜がある。さて、それはいったいなんだろう? 僕はアジフライを食べながら、ちょっとしたクイズを提案してみる。もちろん、正解はアジフライなんだけど。

そして、いわしフライも正解である。

 

半額シールが貼られる条件は、上記した通り見過ごされることである。つまりそれは人気のない惣菜であるともいえる。

僕はめったに電車に乗らないのだが、それでも機会に捕まえられて電車に乗ったときは、真剣にアジフライのことを考えている。どうしてアジフライが不人気なのか。どうしてアジフライはいつも半額の値段(二尾198円の50%オフ)なのか。たしかに助かっている。僕はアジフライを愛しているし、アジフライも僕を愛している。半額がその愛に貢献していないとはいえない。半額だからこそ、僕はついついアジフライに手を伸ばしてしまうともいえるだろう。だが、それでもやはり、僕のお気に入りであるアジフライが半額という現実は、いささか誇りを傷つけられるものである。

また、いわしフライが半額という点でも、僕はさくさくと傷ついている。

 

まずこれは大前提なのだが、食べたことのないものの美味しさを正確にはかることはできない。僕はセイタカアワダチソウを食べたことがないので、その味についてはわからない。アジフライ不評の原因はここにあると考えられる。つまり、人々がアジフライにふれてこなかった。だからこそアジフライがもつ素晴らしさを知ることができていないということだ。

これは重大なこの国の欠陥だ。きちんと国民にアジフライの教育を敷くべきだったのだ。アジフライの美味しさを知らずに死んでいくのは人生の半額を損している。その事実さえ知らずに臣民は死んでいくのだ。半額の世界で、半額の喜怒哀楽をもって、半額の想像力で生きていくのだ。ああ! なんて嘆かわしいことだろう!(アジフライがぱりぱりと鳴く)(アジフライ教育のない人にはわからないだろうが、アジフライはぱりぱりと鳴くのだ)

もちろんいわしフライの教育も欠かしてはならない。

 

さいきんナーバスになるときがある。人に対してうまく話せないからだ。僕が何かを伝えようとするとき、誠実な言葉はこぼれた水のように掌から逃げてしまう。残るのは誠実さの残滓で、それは枯れた川である。感じられるのは偽物でまったくの潤いもない言葉だけだ。そんな僕は、ひどい人間である。猫でさえ、憐れむことはない。高い窓からぴんと立った黒のしっぽを見つめていると、とても寂しくなる。猫はその気持ちを知っていながらさっとどこかへ消えてしまう。すると人生の軸を失ってしまったように感じる。あるいは、本当に失っているのかもしれない。

アジフライを食べながら、そう考えていた。