大西羊『作文集』

作文を書きます。小説も、書くかもしれません。

崩れた本のたば

塩のステーキ

いつもパスタを食べているのだが、たまにはなにかべつのものを食べたくなる。僕も人間だ。カーネル・サンダースがずっと笑っているのは人形だからだ。そんなとき、となりのスーパーで買うのはたいてが塩のステーキだ。もちろん、ほんとうに塩のステーキというわけではない。実際のところはたっぷりと塩の味がつけられた鶏肉のステーキだ。

ただ塩のステーキと表現するほうが、じつに興味深く見える。少なくとも僕にとっては。言葉とは不思議なものである。その一か所をつよくひっぱってみるだけで全体の印象ががらりとかわる。それはおもしろくもあるし、むずかしいものでもある。だから言葉に泣かされることもある。言葉は僕たちよりずいぶんと賢い。見下すようにして僕たちの頭上をひょいひょいと飛び交っている。

ところで塩のステーキは美味しかった。ただ、塩味がすこし濃すぎるように感じる。ラーメンのせいかどうか、塩という言葉にはあっさりした感じがあるから、あんまりにも濃いとびっくりしてしまう。少なくとも僕にとっては。

 

崩れた本のたば

眠たい。いつも眠たいわけじゃない。いつもパスタを食べているわけじゃないし、いつも笑っているわけではない。僕は人間で、刻一刻と状態を変化させながら生きているのだ。ただ、カーネル・サンダース人形は生まれてこの方一度も眠ったことがないから、きっと僕よりもずっと眠たいだろう。そう思うとこの眠たさも乗り越えていける、かもしれない。

「マイ・オールド・スクール」

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スティーリー・ダンの「マイ・オールド・スクール」には今晩のような、ちょっと気楽な暗さがある。曲の中で彼らはいろいろあって困ってしまう。友達の女の子がパクられて、つい彼らのことまで喋ってしまったのだ。学校に行ったらきっとつめられてしまうだろう。もう、きっと学校には行かないぞ。カリフォルニアが海に沈むまでは。そういったけっこう深刻なことが風船のように軽く、軽く演奏されているところがとてもよい。困りごとは、それ自体としてじつに厄介なことだが、まあそれはそれとして仕方がない。困りごとがあっても気楽にいこうよ。それくらいでちょうどいいんだよ。

 

僕の部屋には本がたくさんある。たくさんと言っても七十冊ほどだ。本はかさばるし、なかなか保管もむずかしいので読んだはしから他人にあげてしまうようにしている。これを話すとみんな驚くけど、僕はそうしている。もちろん本が手元にないせいで困ることもある。急なアイデアがあっても本をひけないし、暇をつぶすための話を探ることもできない。昔のメールアドレスから古い友人の顔を想像するみたいに、読んだ本の表紙を眺めて、あれこれと懐かしむことができないのはかなり残念だともいえる。ただ、それでも僕はこの習慣を続けている。本をあげることはとっても素敵なことだからだ。少なくとも僕にとっては。

いま、布団のうえに崩れた本のたばが横たわっている。僕はずいぶん眠たいが、いまはかわりに本が眠っている。彼らの姿勢はそれぞれに寄り掛かるようにしているため、雑魚寝みたいに見える。午後を過ぎて眠る園児たちのようにも見える。

「マイ・オールド・スクール」の軽快なリズムにそよがれるように、ふうりんがちりんと鳴る。こうして時間が過ぎていく……普段は意識しないことを考えてみるのはおもしろい。カーネル・サンダースはいったいなにを思って笑っているのだろう。人形は今日も店頭でのっぺりと冷たく笑っている。やけに気持ちよく笑っている。