大西羊『作文集』

作文を書きます。小説も、書くかもしれません。

子供靴の小人のお弁当

これくらいのお弁当がさ……

もちろん僕は人間だ……知ってたかな?

だからゴミを出さなければいけないし、風呂を掃除しなくちゃならない。ネスカフェの蓋にたまったほこりを取り除いてやらなきゃならないし、寒くなるたびに扇風機のつよさを変えてやる必要がある。まったく、うんざりする。

そしてこれも同じくもちろんの話だが、すべてがすべてうまくできるわけではない。扇風機のスイッチをうまく押せないこともあるし、お昼ご飯のタイミングを逃してしまうことだってある。どれだけささいなことでさえ、間違えてしまうときがある。そういった「仕方ないこと」を抱えて生きている。

さて。うんざりしてきただろう? 君も人間だし、まったくそうなんだよな。

とくに僕で言うと物を書く人間なので、この中に物を書く行為が入っているわけだ。風呂掃除、ネスカフェのほこり、パスタ茹でに物の書くこと。そして……そう。物を書くことも、同じで毎回うまくやれることじゃない。ときにはつまづいてしまう。

今日はそんな日だ。なんだか不思議な感じだが、物を書く気分になれないのだ。だからだらだらだらだらしてしまって、気がついたらもう十一時になっている。どうして時間の流れはここまで僕に敵対的なのだろう? そう考えてしまう。

 

こういう日くらい、僕が眠っているあいだにすべてを解決してくれないかな……と、思う。べつに、大きな小人じゃなくていいんだ。ちょっとだけでいい。網を振りかざす子どもの、そのサンダルの穴から出てくる小人たちの、弁当箱くらいのサイズで、それくらいでかまわないんだから……

 

まえに虹を見た。遠い空に虹の始まりと、その半分がかかっていた。残り半分は山の向こうにあって、耳をすましても何も聞こえてこなかった。誰かが歌う声は聴こえてきた。

それは遠い空だったが、田園風景のためにちょっと近くにあるように感じられた。田園に人はいなかった。じゃあ誰が歌っていたのだろう? 虹かもしれない。

お風呂につかりながら、虹を眺めてみたいな……いったいどんな感じがするのだろう? 名の高い作家が言っていた。「想像力はじつに大きな目である。ときに想像力を広げる現実の世界は、いったいどれほど大きいのだろう?」

じつに難しい問だ。僕にはまるで、答えられない……