大西羊『作文集』

作文を書きます。小説も、書くかもしれません。

アウトバーンの牛

短い話

昔、ドイツに行ったことがある。ドイツとはヨーロッパにある国のひとつである。ユーラシア大陸にあり、ライン川のそばにある。ドイツは鴨川からだとずいぶん遠くの場所だった。たくさんの川を渡り、多くの野山を越していった。ときには海に出ることもあった。海は暑かったり寒かったりで、まったく同じという時はなかったが、さざ波の音を聞いている限りではすべてが同じように感じられた。僕は海にいるのだ。海は地点というものをもたない。海にいるか、海にいないか、それだけだ。海はどこまでもつながっている。大阪湾の隣に地中海の緑色が浮かんでいる。

そういう気もした。

ドイツには三日いた。一日目にはビールをたくさん飲んだ。ソーセージを食べ、ハムを食べた。二日目にはアウトバーンを眺めていた。雨が降っていたからだ。日程には余裕があったし、そのころの僕は雨が嫌いだった。だからちょっと予定を変えてずっとホテルにいた。ホテルは使い込まれて黄ばんだ色をしている、ちょっと出来の悪いサイコロのような風貌をしていた。少し先にアウトバーンがあり、ホテルとアウトバーンの間には庭があった。日本人の庭師は雨の中でもぱちぱちと枝を切っていた。僕が庭師の仕事ぶりを見つめていると、庭師のほうが僕に話しかけてきた。

アウトバーンは音がおもしろいんだ。ここではどれも同じ速度で走っているからね。遅かったり早かったりすればタイヤの音がぜんぜんちがって聞こえてくるんだ」

夜になってもアウトバーンのようすを眺めていた。窓をあけて耳をすましていた。長く弱い雨は窓枠の木材を湿らせ、カーペットの毛をゆるく弛ませていた。ただ、アウトバーンの音についてはわからなかった。庭師のことをウソつきだと思った。眠るとき、またぱちぱちという音が聞こえた気がした。

最後の日になって、曇りの日だった、僕はノイシュヴァンシュタインに行った。最寄りの駅でおりると、あとは砂利の道だけがのこった。形式的な看板に黒いカビが生え始めていて、文字は読めなかった。

ノイシュバンシュタイン城は高い。山よりも。巨人に似ている。

最後の川をわたるとき、川辺に牛飼いと牛がいた。牛飼いは牛に鮭を与えているようだった。牛はかなり真剣な目つきでそれをばくばくと食べていた。僕がその光景について考えていると、庭師のようにして、牛飼いのほうから話しかけてきた。

「鮭を食べさせているんだ」

僕はうなずく。

「鮭の肝臓をね。暑くて仕方がないから」

「鮭を食べるんですか?」

「鮭は食べない。ただ、肝臓のところだけはそのビタミンの点ですごく牛に効果的なんだ。それを牛もわかっていてね、身の部分は食べないんだけど肝臓はこうやって食べるんだよ」

「牛は草食じゃないんです?」

僕がそう言うと牛飼いは不満げな顔をした。

「君は牛飼いより牛について詳しいのかい?」

僕は首を振る。

「それにこうやって食べているじゃないか。実際」

たしかに牛は鮭の肝臓をばくばくと食べていた。それもとても必至の形相で、どこか真に迫るおもむきがそこにはあった。牛は僕のことに目もくれない。ただ、長いこと鮭の肝臓を食べていた。足元には黄緑の芝と、ぬるくなった鮭の死体が転がっていた。

 

カフェにいるとき、僕はこの話をずっとしていた。相手は真剣に聞いてくれているようだった。その顔つきには、ところどころ牛を思わせるものがあった。

だが、この話はすべてうそだった。僕はドイツに行っていないし、日本人の庭師と話したこともなかった。それでも相手は必至に話を聞いていた。その事実は僕を楽しませたけれど、ちょっと寂しくも感じた。もっと真剣なことを話してみたかったからだ。カフェの外で鴨川が流れていた。