大西羊『作文集』

作文を書きます。小説も、書くかもしれません。

銃の撃ち方(バン・バン)――その①

銃の撃ち方(バン・バン)

このまえ後輩とご飯に行った。僕は後輩とご飯に行くのが好きだ。たくさん彼らから話を引き出し、いっぱいうんうんと頷いて、ポイントを絞って偉そうなことを言う。そういうのは消耗だとも言えるけど、必要な消耗だとも言える。僕はそういうのが好きだ。(必ずってわけではないにしろ)彼らに奢ってあげる。僕は大事そうなことをたくさん話し、とても長い時間をかけてゆっくりとラーメンを食べる。

僕はじつに慎重にラーメンを食べる。神経質な女の子よりも慎重にラーメンを食べる。僕には僕を構成するいくつかの重要な要素があるけれど、ラーメンを慎重に食べることもまた、僕を構成する重要な要素のひとつであるといえる。ラーメンをのぞいてしまえば、僕を構成しているのはめんまとサッポロ・ビールくらいだ。もちろんこれは嘘だ。

僕はそこで偉そうにいくつかの講釈を垂れた。講釈を垂れることは僕の得意技だ。表現の話。完成度の話。そして銃の打ち方の話をした。「僕らはそれぞれに銃を持っている。ただ、僕らが優れたガン・マンであるかどうかはまた別の話なんだよ」

ねえ、銃ってわかるかな? これだよ。バン・バン。

 

プロのエゾリス

これはまったく関係ない話なんですけど、「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」っていい曲ですよね。僕はもちろん女の子のことが大好きです。同時に女性のことも同じくらい好きです。ただ、女の子と女性、それぞれに対する好み方はけっこう違っています。好むポイントみたいなものが違っているんです。この歌はじつに女の子の魅力をきちんと歌っていると思います。だから好きなんですよね。ちょっとキンキンしちゃいますけど。

ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン

youtu.be

 

しばしば知識のあり方について僕は考えます。僕は後輩に言いました。

「ねえ、しばしば僕は知識のあり方について考えるんだ。君たちはどう? 知識のあり方について、考えたことってあるのかな?」

彼らはエゾリスのように頭をかく。

 

僕の周りに知識をたくさん蓄えている人がいる。どこから集めてきたのかまったく想像できないような知識をじっくり携えてる人がいる。彼らはちょうどエゾリスみたいだ。じつに大事そうにくるみを抱えているので、申し訳ないけどちょっとこづいてみたくなる。こぼしてしまったらどんな表情をするんだろう? そう思う。だけどそんなことはしない。それは僕が大人だからだ。もちろん、するときもある。

ただ、彼らがそういった知識を蓄えることにかける情熱に比べて、知識の使い方の段になると、なんだか不格好に見えてしまう。知識があるのにうまく使えていないように見える。そして実際にそうなのだろう。AWM、M4、コルトm1911。これらはすべて銃の名前だ。彼らは実に多くの銃をコレクトしている。その充実っぷり、そして状態にはとても驚かされる。どれもきわめて良好だ。だけど、それを撃ってみてくださいよ。そう言うと、彼らはいつも決まったように顔を見合わせて困り始める。そして僕に言う。「どうして銃を撃たなくちゃいけないんですか?」

そして僕が困るのだ。エゾリスのように頭をかくわけだ。さて。どうしたものかな、と……

 

長くなったので、明日に続きます。