大西羊『作文集』

作文を書きます。小説も、書くかもしれません。

昨日見た夢

昨日見た夢

 ずいぶん長いあいだ夢を見ていた。死んだ元妻と彼女が出てくる夢だ。彼女たちは僕と少し離れたところで小さい声で話をしていた。声は蝶がはばたくように、本当にささやかな音で僕には聞き取れなかった。僕は彼女たちを求めて近づこうとするが、それはできない。むしろどんどん距離が離れていった。最終的に彼女たちは窓の水滴くらいの大きさになり、僕はどうしようもなく立ち尽くしていた。

 目を覚ますとそこは僕の部屋だった。窓辺にはシルクのようにつややかな朝の光が落ちていた。僕は立ちあがって顔を洗い、コーヒーを淹れて飲んだ。すると途端に寂しくなった。夢のことなんて、いつもはすぐに忘れてしまえるのに、なぜかそのときは夢のすべてを覚えていた。押し流されるようにして遠ざかっていく彼女たちの姿が脳裏にくっきりと浮かんだ。僕は家の中を歩き回り彼女を探した。けど彼女はいない。リビングのテーブルにはいつものように書置きだけがあった。彼女が用意してくれたサンドイッチがあり、飲みかけのサイダー水があった。いつも通りの、手に取れる現実だ。僕はサンドイッチを時間をかけて食べ、グラスに氷を入れてサイダー水を飲んだ。彼女が半分だけ飲んだサイダー水は、もうほとんど炭酸が抜けてしまっていた。氷の上でぱちぱちと声を上げてしまうと、残った炭酸も見た夢のようにさっと消えていった。

 ただ、夢だけがびっしりと頭の奥に張り付いていた。

 僕は友人に電話をかけた。久しぶりの挨拶を交わしたあとに夢の話をした。友達は神妙な声色で相槌を打ってくれたけれど、それだけだった。僕が礼を言って電話を切ると、あとには午後のゆるくなった静けさがあった。

 彼女が帰ってくると、僕は夢の話をした。彼女はかなり疲れていたようだけど、僕の真剣な態度を見て、きちんと話を聞いてくれた。話のあと、彼女は今日はいっしょに寝ましょう、と言ってくれた。そのような答えを期待して言ったわけじゃなかったけれど、僕としては嬉しかった。僕と彼女は長い時間をかけてパスタを食べ、それぞれゆっくりと湯船につかった。彼女が風呂に入っているとき、僕は家計簿をつけた。夜の十時ころに僕らはベッドに入った。それから静かな言葉で少しだけ話をして、すぐに眠った。

 ただ、それでもまた同じように夢を見た。昨日と同じく僕から少し離れたところに二人がいた。僕は二人にどのような接点があるのか知らない。ただ、顔つきは見下すようで、怖く感じた。

 僕はその夢を五時間ほど見ていた。夢に時間の感覚があるなんて、変な話だ。だけど、実際にそう感じていた。事実、僕が目覚めたころはまだ早い時間だった。空は暗がりで、寝室も緻密な闇で満たされていた。ただ、空の奥には小さな青が顔を出していた。青の色はにじむように時間をかけて闇を蝕んでいった。

 僕は一人で夢のことを考えていた。隣の彼女はぐっすりと眠っている。きっと相当疲れていたのだ。

 結局、その理由はわからなかった。ただ、あれから一年のあいだ、僕はもうあの夢を見ていない。解決も何もなく、そっと時間の流れに消えてしまったのだ。いまは夢の印象だけが頭の隅に埋まっている。