大西羊『作文集』

作文を書きます。小説も、書くかもしれません。

ビート・ゴーズ・オン(パートツー)

ビート・ゴーズ・オン(パートツー)

「ザ・ビート・ゴーズ・オン」

youtu.be

コインに100が印字されている。裏側には花が……なんの花だろう。銀色をしている。僕は銀色の花なんて知らない。誰も知らない。

僕が銀の花を探し始めたのは中学二年生の晩秋のことだった。銀の花は……おとぎ話と造花の世界にのみ存在した。ただ、それはもちろんまがいものだ。やがて、僕の興味はべつのものに映っていくことになる。コインには裏があれば表がある、あるいは表があれば裏があるという真実だ。裏なきところに表なく、表なきところに裏はない……興味深い真実、驚異の発見、誰も知らない重要なシステム。コインは100ぶんの価値しかないと思っていたが、僕が得た教訓によって価値は空高くにのぼりつめた。

重要なのは二つ。表は裏なしにありえないこと。そして、どちらが表と決めるかはいつも僕らの視点にあること。この二つだ。

 

時間の話をしよう。

この「ビート・ゴーズ・オン」は普通のものより長く作られている。曲が長く演奏されているわけではない。演奏の前にバディ・リッチの和やかな談笑が挿入されているからだ。

ヴォーカルはキャシー・リッチ。バディ・リッチの娘であり、素晴らしい歌声をもつ。レヴェルが高いとはこのことだろう。

5分28秒。この曲の長さだ。これは長いだろうか? 短いだろうか?

表があれば裏があるように……各々が感じる時間の感覚も、またべつべつだ。私たちはいろんなとりかたができる。この曲を長いととるこも、短いととることもできる。われわれはわれわれの視点ですべてを見ている。世界を計るものさしは、結局われわれにゆだねられている。

中学生のころ、僕は思った。このものさしを少し伸ばすだけで、世界はいくらでも広がりをもつのだろう。思いのままにやっていけるのだ。そう考えた。

もちろん、そうはいかなかった。100は結局100でしかなく、シロクマアイスを買うことはできない。ビールも……

 

時間が流れていくのを感じる。なにも仕事をしていないと、それは非常にはっきりとした奔流となって僕の目の前を流れていく……

われわれは自由である。何もしていなくても、僕らは時間の流れに乗っていける。必ずたどりつく岸がある。だから気楽に考えていればいい……

われわれは奴隷である。どうしようとも時間を取り戻すことはできない。流れは絶対にわれわれの肩に手をかける。いまはいまでしかなく、すでにすぎさっている途中である……

……あなたはものさしでどのようにものごととらえるだろうか。ものさしは、結局ものさしでしかなく、古い万能の魔法ではない。だが、もちろんものさしとしての役割は果たしてくれるだろう。そう考える。

ビート・ゴーズ・オン。ビートは続いていく。われわれと少し離れたところで。それをどのようにとらえるか。それがしみったれたこの世界に残された、いちばん最後の自由かもしれない。