大西羊『作文集』

作文を書きます。小説も、書くかもしれません。

骨拾い

骨を拾った人

作文をはじめて、いま、もっとも焦っている。ちょうど19時30分なのだが、今日のぶんの作文がまだないからだ。もちろん書く時間はあった。ただ、書いてなかったのだ。やれやれ。どうして書かないのだろう? 僕は、僕自身にそう思う。きっと長い本を読んでいたせいだ。あるいは、外が暑すぎるせいだろう。

ぼくの遠い親戚に、20代の前半に結婚した女性がいる。結婚相手は60代で、あまりにも歳の離れた結婚だった。もちろん、そんな結婚かんたんに行くはずはない。ある程度の攻撃的な話題がぼくの血筋の間で持ち上がった。彼女を守る者もいたが、その力は世論を納得させるにはあまりにも弱かった。ただ、彼女自身はそんなこときっと気にしていなかった。そう思う。

彼女はすごくきちんとした人だ。どんな物事に対しても意見を持っているし、やると決めたことは、たとえそれがある種のまちがいを孕んでいたとしても、絶対にやりとげた。ぼくは彼女のそんな姿勢が好きだった。彼女がその男と結婚し、愛をささげることを誓ったのも、その気質から来るものかもしれない。詳しくは知らない。でも、そういう理由だったんだよ、と説明されれば納得できるくらいに、彼女の決意はきわめて執拗なものだった。

 

これは関係のない話だが、どうしてもコーラを飲みたくなるときがある。普段、僕はコーラなんて飲まない。ひどく甘いし、めっぽうからだ。加えてあんまり美味しくない。ただ、それでも飲みたく感じるときがある。「コーラ欲」みたいなものが、心の底でふつふつと煮立つのだ。だからいま僕はコーラを飲んでいる。コカ・コーラではない。ペプシでもない。ほんとはペプシがよかったのだけど、ペプシではない。ペプシのぴりぴりとした感じが好きなのだけど、ペプシを飲んでいるわけではない。僕はそのことについて残念に思う。残念に思いながら、コーラを飲む。ぐびぐび。

 

人間に与えられるもののすべてはひどく不平等だが、唯一平等に与えられるものは時間だと考えている。彼女にも時間があり、彼女が結婚した男にも時間があった。時間は誰のものであろうとも同じ速度ですり減っていく。だから男が先に死んだとき、それはじつに自明のことわりのように思えた。少し冷たい考え方だが、ぼくは同情をしなかった。人は時間を消費して死へと近づくことでのみ、生を得ることができるのだ。

しかし、彼女は深く悲しんだ。日常生活がままならなくなり、どうすることもできないくらいに心を傷つけられ、決意をないがしろにしてしまうほど信念を失った。結局、そのときになってはじめてぼくら親戚は彼女の愛が金など関係のない本物の愛だとわかることになった。われわれはそれを恥ずかしく思い、彼女を助けようとするが、すでに遅く、彼女はもう誰も寄せ付けなかった。長い時間の間一人で狭い部屋にこもり、日が暮れるまでずっと窓辺に無意味な視線を向けていた。時が経つにつれ、誰もが彼女のことを諦めはじめた。そういう人だったのだ、と。ぼくは悲しく思ったが、何をしたわけでもなかった。ぼくと彼女は関係としても、その位置においても遠かったし、当時のぼくは何の力も持っていなかった。少なくともそう考えていた。ほんとうは何かするべきだったのだ。ただ、何もしなかったのが現実だった。

だからそんな彼女が元気になったとき、誰もが驚いた。親戚はみながみな彼女にその訳を訊ねたが、彼女はうまくごまかした。だからぼくにだけそっとその理由を教えてくれたとき、ぼくはひどく驚いた。

彼女がその夢を見たのは夏の終わりだった。そろそろ男が亡くなって一年が経とうとしていた。彼女はずいぶん痩せて、その考え方もちがったものになっていた。以前とまったく逆の方向、込み入るような奈落へとその思考は病んでいた。

夢のことをはっきりと覚えているわけじゃないの。いいえ。ほとんど覚えていないわ。ただひとつの言葉、それが私を救ったの――――「骨を拾いなさい」。その言葉よ。

 

ぼくはオカルトや魔法みたいなものを信じずに過ごしている。それを信じて生きるには、あまりにも幻想じみてしまっているからだ。しかし、彼女のその言葉には現実を超えた神秘的な意味合いを感じた。彼女の光が戻った瞳にも、どこかぼくの知らない世界の秘密がうずまいてるように感じられた。

これは、不思議なこと。不思議なことは起こらない。誰もが憧れるが、誰も手に入れることはできない。だからこそ、そこにぼくらは惹かれるのだろう。ビールを飲みながら、僕はそう考える。