大西羊『作文集』

作文を書きます。小説も、書くかもしれません。

電車で書いた作文

動かされた額縁

カフェを好む人間がおうおうの場合そうであるように、僕もいろんなカフェを巡ったりする。基本的には近所のところを中心に、ぐるりぐるりとまわるわけだが、それだけじゃなしに遠出の機会をつかまえて知らないカフェに入ってみたりもする。今日はオランジェというカフェに行った。婦人服売り場の奥にかまえてある静かなカフェで、まるで僕みたいな人間にはふさわしくなかったんだけど。ただ、素敵なところだった。少なくとも僕はそう感じた。何よりも奈良のカフェなので物価が低いのがよい。現金な話で不躾だが、やはり安いというのは優れていることなのだ。もちろん、安いだけじゃなしにコーヒーの味もよかった。テーブルのはしの砂糖のびんに、コルクみたいなベージュの角砂糖が入っていた。カフェの相手はそれをころころ転がして、拳銃のように操っていた。

カフェに行くことは、つまりとても素敵なことである。僕はじつにいろんなカフェに行く……スターバックスドトール、マーチ・ブラウン……イノダ、オリエント、コーヒーカン……

そんな僕がよく訪れるカフェがからふね屋である。からふね屋はよい。三つとても優れているところがあるからだ。ひとつは深夜までやっているということ。ひとつはジョジョの漫画を揃えているということ。ひとつは僕の家からとても近いということ。

 

やわ肌と優しさ

からふね屋に行ったとき奥の席に座るようにしている。手前の席は車が通るたびにぐらぐらと揺れて、まるで落ち着きがないからだ。そのようすは電車の人々によく似ている。疲れ切った表情で、身を任せるままに揺れている。いつしか眠ってしまったりして、気づくと知らない場所にいる。

奥の席はそんな手前の席に比べるとずいぶん静かであると言える。がっしりとしているし、ソファもそろえてある。タバコは吸えないけれど、吸う必要はほとんどない。

 

奥の席の隣の壁……朝焼けの雲のように黄ばんだ壁には五つの額縁がかけられている。印象的な絵が飾ってあり、それが何を意味するのかはわからない。

額縁のひとつはずいぶんまえに動かされている。僕がいちいちチェックしていたわけではなく、後ろの壁に動かされたあとがあるからだ。ヴァレンタインの夕景のように黄色くにじんだ背景に、くっきり白い四角が浮かんでいる。どうしてそうなっているのかはわからない。ただ、数学的に定められたみたいに、そこに動かされた白のあとが残っている。それは鋭く刈り込まれた牧草のようにも見えるし、水着の後ろ側にとりのこされた女の子のやわ肌みたいにも見える。

動かされた額縁のあとには、なにものでもない不思議さがある。それは時間の経過と、額縁の変化を表すだけでなくて、もっと秘密めいたものを感じさせる。もしかしたら額縁は隠し扉のスイッチなのかもしれない。長い地下世界へのはじまりなのかもしれない。丸い穴を中心にするように見通せない螺旋階段が深く、深くへと続いている。まんなかの闇へアルミのコインを投げてみるが、落ちた音も、かすれる声も聞こえない。

不思議さと同時に、どこか優しさも感じる。その二つが混ざり合うようになっている。つまりそこにあるのは、秘密めいた優しさ……うしろから腕を伸ばし、そっと体を抱いてくれるような心地よさがある。ただ、僕たちは彼女のことを全く知らないし、僕たちが彼女を観測することもできない。去ったとき、彼女のあたたかさと未知の興奮のみが残されている。

 

ろうそくの火

僕の妄想はプールサイドのように決められておらず、永い広がりをもつ。だから動かされた額縁であっても、このようにふくらんださまになる。もちろんすべてにおいてそうというわけではない。しばしばそのようなことがあるのだ。

ろうそくの火が好きだった。その影がずっと変化していくからだ。ひとつのかたちをとったかと思えば、またあたらしいかたちになる。火は永遠に変化を続ける。けして同じかたちを繰り返すことはない。ずっと違うかたちでしかない。

それと同じように、僕らの世界も変化している。一見、それは固定されているようだが、ほんとはそうではない。毎時間変化を続けている。近しいかたちではあるものの、まったく同じかたちにはならない。変化している。戻ることはなく、転がり続けている……かもしれない。そうじゃないかもしれない。ずっと同じ景色だけが残り続けるのかもしれない。ほんとのところは、わからない。

 

変化はおもしろいテーマであり、むずかしいテーマだ。そう思う。電車の乗り換えよりも、むずかしい。そう思う。

そろそろ乗り換えをしなければならない。いま、電車で書いてるからだ。電車は好きだ。揺れるからだ。ゆらゆらゆらゆら……セイタカアワダチソウのように……揺れている。こうして揺れていれば、いつか僕もろうそくの火のようにまったくちがったかたちになれるかもしれない。春に見る夢みたいに、素敵なかたちになればいいなあ。そう考えた。