大西羊『作文集』

作文を書きます。小説も、書くかもしれません。

熾火

グラハム・ベル

グラハム・ベルが作った発明品のひとつに、電話というものがある。昨今というより、一時代まえからすでに普及している、いまや人間生活にとって欠かせないもののはずだ。

だが、僕は電話が苦手で、ほとんどとらないし、まったくかけない。ほんとに重要なところでもなるべく電話をかけることを避ける。それでも、どうしても電話をかけないといけないという段になると、諦めて電話をかける。そんなだから、電話のかけかたも、なにを話せばいいとかもわからない。番号をきめて、電話をかけて、相手がはじめてでたときに、いったいなにをいえばいいのだろう?「もしもし」なのか、「こんにちは」なのか。好きな動物の種類とか、サザエの食べ方みたいなことを話せばいいのだろうか。

電話がどこか億劫に感じられるのは、あまり触れてこなかったっていうのもあるだろうけど、やはり電話にいいイメージがないからだろう。親しい人と電話しない僕にとって、かけてくるのは大抵が悪意をもった人々だ。彼らの声はどこか乾いていて、ときおり火打石のようなノイズが走る。僕は彼らのことを好きではない。きっと、彼らも僕のことを好いてはいない。

 

熾火

youtu.be

 

ビーチ・ボーイズには優れた曲が多くある。サーフィン・USAとか、まったく僕は大好きだ。ただ、彼らのアルバムというとむずかしい。初期のアルバムを評価するのももちろんいいが、僕はサーフズ・アップが大好きだ。このアルバムのよいところは、その調和にある。非常に微妙な力が相互に影響し合って、ひとつのかたちあるアルバムとして完成しているのだ。ぜひ聴いてみてほしいと思う。

そんなサーフズ・アップのなかでよい曲を選ぶわけではないが、僕はロング・プロミスド・ロードが好きだ。もちろん表題曲のサーフズ・アップや、名曲として謳われるディズニー・ガールズもよいのだが、僕はこれが好きだ。

この曲を聴いたあと、よく静かな時間の中で感じるものがある。それは余韻として表現されるものだけど、僕は熾火(おきび)として表現する。ずいぶん静かになったあとに、ちいさく残った火のような感覚、それがこの曲に感じられる。

 

この曲に限らずとも、ふと静かで冷たい部屋で自分の身体の熱を感じるときがある。それも、どこか熾火のようだ。一日の終わり、夜の暗闇が差し込むときに、耳をすますみたいにして、自分の熱を感じ取る。その時間はほんのすこしであり、もう消えてしまったものだけど、なにか不思議めいたものがある。熾火のくすぶりのことを考えている。