大西羊『作文集』

作文を書きます。小説も、書くかもしれません。

いかしたクーペ

夏が来た!

ずいぶん長い時間のあとに、夏が来た。今年の夏はけっこう遅かった気がする。正確にはどうなんだろう? 去年の夏が早すぎてそう感じているだけかもしれない。去年の京都を襲ったとんでもない暑さがつよく印象として残り続けているだけかもしれない。ただ、そんなことはどうでもいいのだ。とにかく夏が来たことが重要なのだ! そう思う。

僕は夏が好きだ。夏は素晴らしい。夏は非常に優れている。Tres bien! そう思う。

僕がここまで夏に偏向的愛を抱えているのには理由がある。それも僕にしては珍しくれっきとした理由だ。

まず、僕は寒いところが苦手である。そして暑いところが得意である。いわばへびであり、とかげである。変温動物のようにしばらく日向でじっとしていないことには、あまり活動的になれない人間である。だからこそ、夏の光はじつに心地よく感じる。暑さが好きであるように、太陽の光も大好きだ。そこには救いがある。

つぎに、僕は海が好きだ。こんなこと言うのは恥ずかしのだけど、僕の名前は「大西羊」と言います。よければ覚えてください。そして「大西羊」というのは「大西洋」のもじりでもある。つまり僕は海が大好きだ。ミドリの海、キラメク水面、サーファーたちは波をつかまえて、美しい自然の息吹をゆっくりと味わう……もちろん、大西羊には他にもっと意味がある。ただこういう意味もあるということだ。

☞大西という性を考えたのは僕ではない。きちんとしていて賢い女の子だ。

ほかにもっとたくさん理由はある。夏風だとか、森だとか、甘い夢に満ちた夜の空気だとか……まあキリがないのでこの辺りにしておく。

とにかく僕は夏が好きだ。夏は良い。冬が悪いというわけではない。冬には冬の素晴らしさがある。ここにおいて冬は夏の対局ではない。冬の素晴らしさと夏の愛らしさはまったくべつのものなのだ。誘い込む霧のように広がった夜の中で、僕は誠実に夏を愛しているのだ。

 

グッド・シングス(モーニング)

気分のいい日とは、とどのつまり天気のいい日であると考える。今日は天気がすごくいい。僕の気分も、とってもいい。

そんなとき、心が静かに、だけど朗らかにさざめくとき、僕は自分の好きなものを抱きしめたくなる。もちろん、具体的な行為ではなく、精神的な捉え方として抱きしめたくなる。

僕にとっての抱きしめる手段がつまり書くことである。書くことによって、それを表現しようと試みることによって、そこに愛の行為が確認されるのだろうと思う。つまり、僕はあくまでもロマンチストなのだ。

 

僕は朝が好きだ……今日の朝なんて、とりわけよかったね。

僕が起きたのはけっこう早い時間帯だった。朝の……六時だ。朝の六時とは:多くのものものがまだその日の中で損なわれず、朝のきらめきのみが輝いている時間である。僕は朝の六時が好きだ。弱い光や、さらさらとしたあの空気が好きだ。

朝において、もっとも僕が愛しているのは、すべてが白であることだ。光、風、鳥のさえずりや、町の呼吸。そんな朝にあって、僕たちは僕たちであることを思い出さなくてはならない。

「人は目覚めるとき、一度すべてがさっぱりとした白の状態にあるんです」

「ふむ」

「そして、朝というこれまた白の時間の中で、僕たちは僕たちであることを思い出していくんです。白の状態から少しずつ各々の色彩を取り戻していくんです」

「なるほど」

「ある人はさっぱりとしたブルーに、ある人は濃淡のある鈍色に。それぞれの色を取り戻していくんです。ただ、目覚めた段階にあってはわれわれは同じ白にあります。つまりわれわれはその原初の段階ではすべてが同じ状態であるのです」

「はあ」

「だからこそ朝って、素敵ですよね。ねえ、そう思いますよね?」

「そう思います」

ずいぶん昔、西海岸のジャズラジオで聞いた話だ。

 

僕はコーヒーが好きだ。僕は多くのものが好きだ。多くの人が好きだ。弱さも、冬の冷たさも好きだ。後輩も、女の子も、賢い女の子も……僕は君たちが好きだ。同じように、コーヒーが好きだ。

コーヒーには二つの段階がある。それは消費的段階と、創造的段階だ。僕はどちらの段階も愛しているが、やはり創造的段階のコーヒーが好きだ。コーヒーは、その一般的な性格を消費的段階に置かれている。朝、目覚めた人々が何を考えるまでもなくとるコーヒー。勉強する人々が、まるでロボットのオイルのように摂取するコーヒー。この段階において、コーヒーは消費的段階をとる。その時点で、コーヒーはあくまでも飲料物や、消費物にすぎない。コーヒーは手段の補助であって、必要不可欠なものではない。

僕が愛しているコーヒーは、手段として用いられるコーヒーである。ぱらぱらと散りばめられた昼の光を窓の外に、静かなカフェでかわされるコーヒー。夜の魔力に想像力を与えるあたたかなコーヒー。人と人の間に、まるで架け橋のように長い時間を与えるコーヒー。僕はそういったコーヒーが好きだ。この時点でで、コーヒーは創造的段階だ。コーヒーがもたらすものがあるのだ。僕はそういうものが好きなんだ。

 

そう、僕はあくまでもロマンチストなのだ。

 

いかしたクーペ

いつも作文を書くときは、まずタイトルで大枠を決めてから書き始める。だからその内容が思っていたものと違ってしまうこともある(というか、そのようなことばかりだ)。そういうときはあとになってタイトルを変える。すべてが終わったあとになって、原点をしっかりと修正する。これは自立した女性のようで、すごくまっとうなやり方だ。

ただ、今日はタイトルを変えたくない。どうしても「いかしたクーペ」でありたいのだ。

「いかしたクーペ」というのは、ビーチ・ボーイズの歌のひとつである。クーペ(センスのいい車だ)があるんだ。これに乗ってちょっと海に行かないかい? という気分のいい歌だ。作文とはほとんど関係ないのだけど、今日の僕の気分の気分とぴたりと合うから、ちょっと聞いてほしい。そしてまあ、たまにはロマンチストみたいに自分の好きなものを抱きしめてみてほしい。なんだか今日はふわふわとした文章だけど、まあ、いいんじゃないかな、と思う。天気もいいしね。

 

いかしたクーペ(リトル・デュース・クーペ)

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