大西羊『作文集』

作文を書きます。小説も、書くかもしれません。

蔦家

プーランク・エピローグ

たまには短く書いてもいいと思う。昨日、プーランクとかを書いていたらずいぶん長くなってしまったので、バランスをとるという意味でも短く書いてもいいと思う。

僕は大学生なのだが、一般教養科目としてとっていた音楽の授業に魅せられて、このようなクラシック、あるいはピアニストを聴くようになった。プーランクももちろん、辻井伸行ルービンシュタインも素晴らしい。僕はあまたの楽器の中でピアノが一番好きだ。ピアノとはつまり美しさの最たる象徴であると考えるし、時間という概念を極めて正確に表現できるものだとも考えているからだ。

もちろんこれは表現の話だ。事実めいたものではない。こう言うとすこし変だが、ある意味で、僕は表現の話しかしない。

何かを語ろうとするとき、誠実な言葉は手のひらから逃げる水のようにこぼれおちてしまう。おちた水はすっと足元に吸い込まれ、もう二度と拾うことは叶わない。だから僕は水に似たものを用意するようにしている。ジンのように、ある面では水に似ているけれど、実は全く違うもの。それを両手で差し出して「ねえ、美しいでしょ? これが水なんですよ。とっても素敵な液体です」と、語るのだ。むろん、そううまくいくものではない。ときにはまったくの別物として映ってしまうかもしれないし、裏切りととらえられるかもしれない。だけど、なるべく誠実であり続けようとするエネルギーが、いつか本当に誠実な、澄んだ清流に変わるかもしれない。そう信じて僕は水を表現しようと今日も努力している。

 

蔦家

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蔦家。みなさんは蔦がぼうぼうに張った家を見たことがあるだろうか? 僕はある。なんなら僕の最寄り駅にも蔦家はある。ちょっと蔦家の話(話? 話というか、所感? なんと表せばいいのか、僕にはわからない……)をしようと思う。つまり、前半はまったく関係なかったということだ。

 

昔、僕がここにやって来るずっと前に住んでいた場所に蔦家があった。僕は塾から帰ってくるときにその蔦家の前を通った。塾が終わるのは夜の始まるころで、すでに電灯には光が灯り、薄い闇が視界の端に集まっている。そんな時間帯だった。

僕は蔦家の前を通るときだけ、走るようにしていた。つまり、蔦家がじつに恐ろしいものに感じたからだ。窓に灯りはなく静まり返っている。肌色の壁は剥げ、鈍色のコンクリートがのぞいている。夜でも多くのものが息をし、そのかたちを絶えず変化させているのに対し、蔦家だけが本当に死んでしまったもののように思えた。時間を示す長い蔦にからまれて、生命のすべてを吸い取られてしまったかのように、乾ききった死を迎えていた。

きっと、その蔦家にも多くの捉え方があった。ある人にとっては蔦家がもっと救いあるもののように感じられたはずだ。ちょうど僕たちが帰りつく暖かい家のように思えることも、きっとあったはずだ。だが、僕は蔦家に恐怖を感じていた。近くに足を踏み入れると、音という音は消え、肌を掠める乾ききった空気が頬を撫でた。

 

いま、その蔦家はどこにもない。町からそれは立ち消えた。蔦も、崩れ落ちた肌色の壁材も、どこにもない。時間は全てを破壊し、まったく違ったものに再構築する。

しかし、夜、祭りから帰ってきた僕がその場所を通ろうとしたとき、首筋に何かが這うような感覚を覚えた。ブレーキを入れ、自転車を止めて振り返ってももちろんそこには誰もいないし、何もいない。町に空いた一角の闇があるだけだ。蔦も、家も、残ってはいない。恐怖は消え去ったはずだし、僕もこうして歳を取ってタフになったはずだ。

ただ、乾ききった空気は未だそこにあった。集積した暗夜の影は、後になった今日の日にもその根を深く張り続けていた。

そして、そこには確かに蔦家があったのだ。目に見えるかたちではなく、恐怖の影として、闇の内に潜んでいた。かたちから解き放たれた蔦家は僕の方へぐっと体を伸ばし、心を強力に刺した。痛みはなく、ただ乾いた黒い色が僕の心に垂れてくるだけだった。しかし、それは僕を揺るがした。僕は混乱して、ひどい眩暈を覚えた。

ただ、そのときにピアノの音がやってきたんだ。まるで、路地裏で迷ってしまった野良猫のように、ピアノはどこか不釣り合いな闇の空間に旋律を響かせた。

ピアノの侵入を受けて、影はほんの一瞬だけ隙を見せた。子どものようにふと頭を持ちあげ、ピアノが響いてきた方角に目を向けた。僕はとても弱っていたが、その隙を逃さなかった。素早く向き直ると、急いで自転車をこいだ。そしてその場所を去っていった。

蔦家の前を通ったのはそれが最後だ。

 

あれからも記憶のいくつかは、ずっとその蔦に縛られ続けている。そう感じている。蔦は黒く、乾ききり、決して誰のものでもない。蔦はすでに死んでしまっているのだ。僕に死んでしまったものを取り除くことはできない。内在する蔦の影は、いまも僕を捉えようと光の端でうごめいている。