大西羊『作文集』

作文を書きます。小説も、書くかもしれません。

迷宮的感情――その②

前回のつづきです

迷宮的感情

僕が大学に入って文章を書きはじめたとき、ムラカミ・ハルキに対しての葛藤はいっそう深くなっていく。

初めて僕が書いた小説は「ロッキー・ラクーン」というものだ。このタイトルはビートルズの曲のひとつで、僕の好きな曲でもある。そこからインスピレーション(っていう言い方が正しいのかどうかはわからないんだけど)を受けて小説のかたちにした。そして、そのときに思い知ることになる。文章って、こんなにも難しいものなのか、と。

きっと作文を読んでくれているみなさんなら存じ上げていると思うけれど、僕の文章はうまくない。もちろんきわめて下手ってわけでもないけれど、程度が高いとは口が裂けても言えない(そして一般的に人間の口は裂けない)。しかし、彼、ムラカミ・ハルキの文章はどうだろう? そう。きわめてうまく書けてあるのだ。

まったくな話だ。彼の文章を読むたびに僕はうんざりしてしまう。どうしたらこんな文章が書けるのだろう? そう思ってしまう。そして、憎むわけだ。どうしてこんな一介のおっさんに書けて、僕に書けないのか。そう思うわけだ。やれやれ。

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どうしてこんな小説が書けるのか? と思う

僕はそうしてムラカミ・ハルキに対して「迷宮的感情」を抱くことになる。それはつまり、彼の文章は優れているし、読んでいてじつに心動かされるものである。僕はそれを書きたいと思う。しかし、僕にこの文章は書けない。どうしてこいつに書けて、僕に書けないのだ。その時点で、僕は憎むことになる。もちろん評価してもいる。

これは一般的に「嫉妬」と呼ばれるものだろう。実のところでは優れていると思いながら、それが手に入らないことには憤りを覚えているからだ。しかし、僕はこれを「迷宮的感情」としている。そう、あくまでも、僕はムラカミ・ハルキに対してとても好意的なのだ。すごく親しみをもっているのだ。だからこそ、素直に評価できないし、したくないし、その文章を奪いたくなる。素直に村上春樹と呼ぶことも、もちろんそうしないと失礼なんだけど、なんだか恥ずかしくてあまりしたくない。そう、これが「迷宮的感情」だ。もちろんこの言葉を言い換えることはできる。ただ、それは「嫉妬」にはならない。「つんでれ」がもっとも近い表現だろう。

 

ロボット、ト、ニンゲン

ちなみに僕とムラカミはすごく音楽の趣味が合う。これも憎いくらいにぴたりと合う。どうしてだろう? もちろん理由なんてわからない。わからない……わからない……音楽は素晴らしいものだが、僕に対して何かを教えてくれるわけではない。音楽は世界をひも解く一手段としてあるだけだ。人のための青があるように、世界のための手段が横たわっているだけだ。

 

フォー・ユー・ブルー

youtu.be

 

ムラカミの小説を読んでいて感心するのと同時に思うのは、決して彼は文学的ロボットではないということだ。彼は人間だからこそ、一線を越えた作品を書く。そして人間だからこそ、非常につまらない作品を書く。そしてこれは失礼な話だが、そういったつまらない作品を読んでいると、とてもほっとする。

良い例はいくつかある。ひとつは雑文集に乗っているぼつにされた作品だ。つぎに「とんがり焼きの盛衰」、他には改定前の「めくらやなぎと眠る女」だ。当然、これらをつまらないとしているのは僕のきわめて個人的な意見でしかない。実際には非常に知的な、それでいて感性豊かな、人の情感を強く揺さぶるものかもしれない。だが、僕はそうは思わない。というより、そう思わさせないでくれ。ムラカミもつまらない作品を書くということにしてくれ。そのほうが僕の気が楽だ。澄んだ山の空気を吸い込んだときのように落ち着けるのだ。

 

さて。なんだか言い訳がましくなっているが、とにかくムラカミ・ハルキはロボットではないということだ。彼はあくまでおっさんであり、人間なのだ。

<ピピピ。ワタシ、ハ、ロボット、デハ、アリマセン>

僕が言いたいのはそう言うことだ。

 

すごく恥ずかしい

もう長いので終わらせたくて仕方がない。それに、語っている内容も、十分に恥ずかしい。あんまりおもしろくもないんじゃないですか? ねえ、どうでしょう?

と、前置きをしておいてだが、僕の文章はかなり村上春樹の影響を受けている。というより、受けざるをえなかった。もうその理由とかも言わなくていいだろう? 素敵な文章だからだよ。はあ、なんだかうんざりする。できるだけ彼を評価したくない。そう思う。

ただ、こういう迷宮的感情って、みなさんにもきっとありますよね。すごいと思う。とても優れていると感じる。だけど、受け入れたくない。きちんと認めなくない。でも、同時に、その人のことを愛している。そう感じたこと、一度くらいはあるんじゃないですか? 

なんだか、つまらないことを書いたなあ、と思う。もううんざりだ。しばらくは村上春樹について語りたくない。名前も聴きたくない。女の子とデートに行きたい。行って、ぶつぶつ彼のつまらない作品について話したい。

「雑文集にのってるぼつの作品なんて、ほんとうにひどいんですよ。ねえ、聞いてくださいよ。まったく。僕は彼みたいなつまらないのは書きたくないですね。ふん」

心の一方では、もちろん、思っているさ。いつか彼みたいな文章を書けるようになりたいってね。

はあ。素直な気持ちを打ち明けるのって、すごく恥ずかしく感じます。