大西羊『作文集』

作文を書きます。小説も、書くかもしれません。

かしこさ

文章を書くこと

文章を書いていて、まともに褒められるほとんどない。なぜ褒められないのか? それは僕の文章がまだまだだからだ。たとえどんな限定的な場所に向けられた文章でも、それが十分に熟練しており、濃密で、面白ければ、必ず褒められる。文章とはそういうものだ。だから僕の文章は褒められない。もちろんまったくないということはない。だけど、ほとんどおべっかばかり。本当の言葉はまっっっったくない。だから本当に褒めてくれる人と会うと抱きしめたくなるし、男性なら友達になりたいし、女性なら付き合ってほしい。当然、女性の友達がいてもいいし、男性の恋人がいてもいい。とにかく僕の文章を真剣に気に入ってくれる人は大事にしたい。そう思います。

 

かしこさ

おおむね物欲の薄い僕だけど、どうしても欲しいというものがいくつかある。ひとつは先生だ。いい先生がほしい。つぎにコーヒーだ。いいコーヒーがほしい。つぎに時間だ。いい時間がほしい。友達もほしい。お金もほしい。サッポロ・ビールも、図書カードもほしい。そしてかしこさがほしい。つまり、かしこさとは僕にとってかなり重要なものだと言える。

もちろん女の子もほしい。だが、そのことについて言及するのは、紳士的なふるまいとは言えないだろう。

「分点」を書いたあとにこれを書いているのだが、やはり僕はかしこさがない人間だ。それだからインテリふうの文章がまったくもって書けない。それに難しい物事について考えて書くのもてんで駄目だ。なんだか言いくるめて逃げ出すようなかたちになってしまう。ぜひかしこくなりたいと思う。かしこくなって、文章をうまくできればと思う。だから女の子に訊いてみるのだ。「どうやったらかしこくなれますか?」と。

 

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「学べ」

じつに正しい答えだと思う。

 

そして諦めへ

今日の晩御飯は冷凍餃子とあまったご飯と、かつおのふりかけと、マグカップに入った味噌汁だった。このような非人道的な食事をしていると、切ない気持ちがこみあげてくる。

まあかしこさに関しては諦めるしかない。僕はそう思う。結局文章は個人によるものなのだ。僕の文章はそれ以上にはならない。僕という枠を超えることはできない。僕の手がもてるのは、大グラスまでで、特大グラスはもてない。そういうことだ。

ただ、かしこさはやっぱりほしい。みじめに餃子をつっつきながら考えることではないけれど。かしこい人はかっこよく見える。ちょっと憧れる。僕は教授に訊ねる。「どうやったらかしこくなれますか?」と。

「無理だよ。誰もなれない。そういうふりをすることしか、僕たちにはできない」

じつに正しい答えだと思う。その夜、僕はなるべくインテリっぽく過ごした。インテリっぽく歩き、インテリっぽく会話をし、インテリっぽくサッポロ・ビールを飲んで、インテリっぽく餃子を食べた。

じつに馬鹿げた夜だった。僕は眠りながら思った。かしこさは諦めよう、と。

 

友達は言う。

「誰もがインテリにはなれないが、インテリっぽくふるまうことはできる。そういうことだ」

「なるほど」

「残されほんの僅かな真なるインテリは、さむい世界の端っこで、ひっそり冷凍餃子をつついているんだ」

「どうして?」

「インテリとは非人道的な生き物だからさ」

友達はそう言ってから僕のスプライトを全部飲んでしまった。それからそそくさと帰っていった。