大西羊『作文集』

作文を書きます。小説も、書くかもしれません。

サウス・サイド・オブ・ザ・スーサイド――その①

南側さん

 高速道路をバスが過ぎていく。風景には山や、ちぎれた秋の雲があり、背の低い家々がある。海がその向こうにあるはずだが、まだここからは確認できない。ときどきに頭をもたげているススキの影には、小さく切り取られた秋を感じた。僕は窓の向こうを眺めている。形式的な九月の風景が繰り返されている。

 ふと下を見やると、前方の流れから、空色に塗られたガード・レールが顔を出した。どうやらガード・レールに絵が描かれているようで、青地のつぎに白で飛行機が描かれていた。僕は目で追いかけながら、考えた。誰がこんな辺鄙な場所をわざわざ飾り立てたのだろう? 

 十秒ほどのちに、青の絵は消え、またアルミ色に立ち戻る。まるでさっきの飛行機なんてどこにもなかったかのように、ガード・レールは知らんふりをしている。

 

 すべてが過ぎていく。やがて現れる。そこに僕の意思はない。風景は変わっているが、どれも既視感のあるものだ。万華鏡のように、嘘の変化が繰り返されている。実のところでは同じなのだ、ずっと。

 対向車線をトラックが過ぎていく。プリウスが過ぎ、トラックが過ぎる。ほんの僅かな時間のあいだに、消えていく。あまりにも素早く見える……ぶつかってしまえば一溜りもないだろう。肉が裂ける、血が焦げる……バスに乗って長い間、内蔵が油に包まれているような感覚だった。少し体調が悪いのだ。僕はカーテンを閉じた。風景は閉ざされる。変化だ……

 目を閉じる。

 南側さんが亡くなったとき、僕は悲しい思いもした。だが、それよりは奇妙な思いのほうが、ずっと強かった。

 当たり前のように南側さんの葬式は行われなかった。親戚も、手立てをする親しい人もいなかったという事実だけがあった。南側さんは孤独に死んだのだ。

 僕が彼のデッド・エンドについて知り得たのも、ほんの偶然のことだった。これがなければずっと知り得ないことだっただろう。普段は読まない新聞の端に、ちょっと残されていただけだった。

「……昨日未明……ニテ、男性死セル。交通事故デアリ、調査中……南側長里、サンジュウニ歳……」

 それ以上のことはなかった。調査中とあったが、あまり信じられる字面ではなかった。真実があろうとなかろうと関係なく、交通事故として終わるのだろう。そう感じた。

 

 石川県の小さな町に住んでいた。人口は五千ほどで、その半分が海の仕事をしている。祖父の家は神社の隣の高台の上にあり、窓を開けると潮風があった。大震災から逃げてきた僕に与えられたのは二階の和室だった。寝転ぶとい草のにおいと白い光が心地よくまざった。

 その頃はまだテレビで神戸の町が映し出されていたらしい。潰れたコンクリート、割れた線路、鬱々しい高架の柱……僕はよく知らない。祖父は僕を気遣ってかどうか、テレビのコンセントを引き抜いたままにしていた。静かな朝食の時間には、遠い港から笛の声が聞こえた。

 僕が南側さんに出会ったのは九月のことだった。天気のいい日で空がよく見えた。僕は散歩が好きで、よく港に出かけていた。釣りをしたり、漁を見物したりしていた。絵を書くこともした。ノートと絵の具なんかで、町のスケッチをしていた。とくに自然の様子を書くのが好きだった。自然というオリジナルに表れる美しさを噛みしめるようにして描き表してみるのだ。山を描き、海を描き、空を描く。ただ、海が平面なために、その空まで潰れたように見えていた。青い画用紙にフェルトが糊付けされているように平たく、雲の隆起を示す線はどこか作為的で、人工物の印象を受けた。そんな空に比べるとそばの灯台のほうが好きになれた。ただ、灯台は描かなかった。ポリシーに反していたからだ。

「ねえ、それはあの山?」

「そうですよ」

「広く絵を書くんだね」

「広く?」

「いや、巨視的に書くんだねって言いたかったんだ」

「そうですね……自然が好きで……」

「そう、自然……いいね。僕は好きだよ。君のその絵」

「名前は?」

「岡山とまるです」

「そう……いい名前だね……」

「あなたは?」

「名前……ミナミガワチョウリだよ……サウスサイドと、長い里だ」

「へえ」

「ねえ、君は男?」

 僕はぎこちない返事をした。そんな質問をされると思っていなかったからだ。

「ねえ……僕は何に見える?」

 僕はそう言われて初めて振り向いた。僕の肩のちょうど後ろから、長身の人間がノートの中を覗いていた。見た目では男だと思った。僕は杭から立ち上がり、彼のほうに向き直したが、彼は僕をちらりと見ることもしなかった。ただしげしげと、長いこと絵を見つめていた。

「男性ですか?」

「そう……男性だよ。僕はね……素敵だろ?」

 そこで初めて彼と目があった。

 

 南側長里。僕よりは少し上だが、それでもかなり若い。若い人を見るのは久しぶりだった。町はほとんど田舎であり、若い人は都会に出ていってしまうからだ。また、若者以外でも都市へうつっていく人は多かった。家族がそっくりそのままいなくなってしまうのだ。点在する暗い家は捨てられたものだった。

 残っている人の多くは老人だた。漁を手伝うなどして彼らは朗らかに暮らしていたが、影には青ざめた血の色があり、弱々しく感じた。話を聞けばそれぞれに無数の理由があったが、実際には、歳をとったためにもうここで死ぬしかないといった人ばかりだった。僕にとって、それは呪いのように響いた。土地の呪い。肉体の呪い。呪いを払いのけるには、彼らはあまりにも弱く、残さた時間はじつに短い。

 南側さんはそんな町にいる、数少ない若者だった。僕は変に思った。どうしてこんな町にいるのか……彼もまた、呪いにかけられているのだろうか?……

 僕はその日を境に、南側さんと話し始めるようになった。港で釣りをしたり、絵を描いたりしていると南側さんから話しかけてきた。きっと若者が少なくて寂しいのだろうと思った。ただ、話すうちにそうではないと考え初めた。彼はどんな人とも親しげに話しをしていたからだ。老人とも、漁師とも、僕の祖父とも……いつもにこにことしていた。目が細く、鼻が高い美形だった。体つきはほっそりとしてスタイルがよかった。年齢と同じで、着ている服もなんだか町の人と一線を画していた。神戸でも十分に通用する洗練されたデザインをしている。そんな彼が老人たちと話している風景は、バランスがなかった。南側さんが詐欺師ではないかと考えたこともあった。だが日常の話ばかりしかしない。咲いた花や、健康や、漁の具合や……それに、わざわざこんな場所で詐欺をする必要なんてないのだ。呪いのことを、また考えてみた。

 

 彼は本当に誰とでもよく話をした。僕と南側さんはよく散歩をしたが、道で誰かとすれ違うたび、挨拶をして、世間話をした。話し方は風が吹くように軽々としたもので、不思議な印象があった。それでもなぜか不快に感じることはなかった。

 トタン家の壁に、朝顔の蔦が絡んでいる。

 

 港から始まる散歩道には三つのルートがあった。ひとつはそのまま港に沿ってぐるりと回るルート。そして、坂になっている町の中央を目指してまた下るルート。

 今日のルートはせり出している町の西側の崖を横切っていくルートだった。道路を外れ砂利道が続くと家屋は少しずつ姿を消した。立派な松がたちならぶ林のつぎに、黒ぐろと濡れた崖があった。下を覗くと沢山の漂流物があった。端材、網、赤いビニル製品、約瓶、割れた煉瓦、レコードの断片……雨の次の日には、魚群の死体が崖下を埋め尽くした。

「迷い込むんだ……ここは迷路なんだ。雨で見えなくなると、慌てた魚がつぎつぎに崖に身を打つ……自殺さ。それも集団でね……」

 雨でくすんだ色をした海があり、向こうではまだ振り続ける雨雲が見えた。崖下はどんよりとした茶色をしており、口の中がべっとりするくらいに血のにおいがあった。

 雨の次の日には必ずこのルートを歩いた。南側さんが、そうしようと言ったのだ。僕はとくに断ることはしなかった。ちらかった魚の肉を見ても、なぜか不快にはならなかった。

「ねえ……不思議だろ。僕がこんなに開放的な人間だなんて」

「不思議……ってことはないですけど、たしかにすごいですね。本当に誰とでも仲が良くて」

「すごい……そうだね。優れてるわけじゃないよ、僕はね」「秘密があるだけさ……」

「秘密?」

「そうさ……君のお祖父さんに、聞いてみることだな……ふふ……」

「直接は教えてくれないんです?」

 僕はそういった。

「ねえ……ロマンスには、しきたりがあるんだぜ……」

 そう言うと彼は笑った。とても軽い笑いだった。乾ききった虫の死骸のようだった。南側さんはべつに痩せすぎているというわけではない。ただ、強くそう感じさせるのだ。軽々しい。

 それからは何も言ってくれなかった。秘密めいた態度でくすくすと笑うだけだった。そんな態度だったが、不快な感じはなかった。僕が覚えたのは奇妙さだった。沖では波のうねりが繰り返されている。海流もまた奇妙な力であり、目で捉えることはできない……

 

つづく。

石だらけ

石が好きだ

僕は石が好きだ。ボーちゃんではないが、石が好きだ。

三歳になり、人類としての自覚に目覚めたときから好きだった。それは両手で作れる小さな円の中にも無数にあり、じつに豊富なものだった。園内にあった砂場から北の壁に沿って三角小屋の間を進むと、石で溢れるユートピアがあった。ひっくり返せばダンゴムシがいて、たまにワラジムシもいた。

ちょっと立ち止まり、じっと足元を見つめ、しゃがみこんで、石を手に取る。石をじろじろ眺めてみる。それは右手に少し余る。ごつごつとした肌をしている。褐色や乳糖の色が混じっていて、コーヒーをこぼしたような黒のしみも入り込んでいる。爪を立てるとこちらが痛む。指と爪の間がちくちくとする。ゆっくりと手に力を入れていく。レモンのように爽やかな刺激が走る。そんな僕の態度のそばで、石はまるでさっきと変わっていないように見える。痛みを感じていないのだろうか? 指に覆われて、石は鋭く固定されている。

なんだか、変な話だけど、今日はこれでいい気がしている。なぜだろう? 理由がわからないから、ちょっと困る。ただ、そう感じる。石について少し書いただけなのに、なぜか満足してしまっている。5000書いても、疲労に終わることだってあるのに。まったく不思議だ。

もしかしたら、石が何かメッセージを飛ばしてきているのかもしれない。幼きころの僕がぎゅっと握りしめたごつごつ石が、時空を超えて語りかけているのだ。

「それ以上は書いてはならない。秘密をあばいてはならない」

そう語っている。気がするのだ。

 

石には秘密があるように思う。それは石の中心に内蔵されている。石を掴み、あるいは手をそえ、目をぎゅっとつむって集中すると秘密の鼓動を感じることができる。だが、割ってしまうとそれは空中に逃げ出してしまう。非常にすばしっこい秘密で、一度殻を捨てるとすぐに宇宙に消えていく。

 

音楽のこーなー

youtu.be

 

僕が幼児のとき……ってわけじゃないけど、古くから聞いてる曲のひとつが「ヒット・ザ・ロード・ジャック」だ。

僕はオールドでクラシックなジャズが好きだ。それと同じくらいアール・アンド・ビーが好きだ。

とくに石とこの曲が因縁をもってるってわけじゃないけれど、紹介しておく。すごく好きだから。理由はこれだけだ。でも、理由としてとても十分に思える。石と同じくらい単純でよいと思う。あてつけじゃないよ、ほんとだよ。

眠れる森の美女の城(嘘)

眠れる森の美女の城(嘘)

取り立てて、という話ではないのだけど、やはりディズニーはすごく人気のコンテンツであるために、ファンの数も到底多い。だから、今回は先に嘘であるということを示しておく。これから書くことは(まだ決まってないのだけど)眠れる森の美女の城と実際的な関係をもたない話であることを、了解してもらいたい。

なんだか物騒な書き出しになったけど、べつに大きな話をする気はない。もっと言うなら、僕としてはすごく小さなところから話をしたい。たとえば今日はファンタのオレンジを買った。水が好きで、いろんなものを飲んで暮らしている僕は、さまざまな種類の飲み物を飲む。ファンタのオレンジに限らず、グレープ、コーラ、コーヒー、ミルク、ウィスキー、メロン。いろんなものを飲む。つまりファンタのオレンジはその一端に過ぎない。ディズニー・ランドのその角の、ミッキーの家といったところだ。

確認しておくが、いまの表現も嘘だ。僕はディズニー・ランドに行ったことはあるが、ほんのすこしで、ミッキーの家が実際にどれくらい求められているかなんて、まったく知らない。もしかしたらミッキーの家がディズニー・ランドの心臓部なのかもしれない。扉がどくどくと脈打っている。

カリフォルニア・アナハイムのディズニー・ランドを訪れたのはずっと古い時代のことだ。僕はスプラッシュ・マウンテンが好きで、日に三回は乗った。また、眠れる森の美女の城も好きで、長いとこ頭の中で内装のことを想像していた。光の角度とか、細やかな色のことも考えていたから、けっこう神経を使って疲れてしまった。もちろん楽しかったけどね。

さっき心臓部のことを話したけど、あれは嘘だ。もちろんこれは全部嘘なんだけど……やはり心臓は眠れる森の美女の城だろう。そう思う。壮麗という言葉なんて、あまりにも仰々しい感じがしてなんだか疲れてしまうけれど、眠れる森の美女の城はぴったり壮麗といった具合だ。ファンタジー・ランドのこつこつとした道を行って、先の終わりの細くなったところに、門がそびえている。右手にはヒヤシンスやゼラニウムの花々が、左手には不思議な模様に刈り込まれたオークの木々が、奇妙なバランスで立ち並んでいる。門はじつに大きく、ディズニー・ランドの喧騒さえを圧倒している。

また、夜には光が灯る。星をそのまま下ろしてきたように、城のあちこちに装飾の明るさがちりばめられている。実際的には夜だが、世界においてはそれは夜ではない。花火があがり、城壁が高くある。城壁の白は上の暗がりから流れてきたようだった。ホテルの遠くからでも魔法の力を感じていた。目に見えない広がりが人々の心をうっていた。

そのときから真剣に魔法のことを考えるようになった。子どもながらに。不思議な話だけど、そうだった。現実的に魔法のことを考えていた。そのころからあまり感傷的とか、感動的なことよりは、事実の中にある煌めきに興味を持っていた。

ファンタのオレンジを飲みながら考えるのは、そういった現実的な煌めきのことだ。大阪の夜に見る眠れる森の美女の城だ。実際にそんなものは存在しない。夜には夜の世界があるだけだ。空に城はなく、星も少ない。ただ、目に見えないものがそこにある。それがわかる。肌の感覚で理解できる。

 

話をでっちあげるのは好きだ。ただ、想像していると、本当だったらよかったのになあ、と思うことがある。実際に僕も眠れる森の美女の城を見に行ってみたいと思う。人が多そうだけど、わくわくする。ちょっと考えてみてください。夜空を見ながら、そこに眠れる森の美女の城の姿を書いてみてください。どれだけ綺麗に想像できましたか? よかったら教えてくださいね。

壁と線路のはざま

壁と線路のはざま

 これは短い話だ。

 ある作家が語っていた。「結局、書くことは事故療養ではなく、ささやかな試みにすぎない」。彼にその話をすると、鼻でふふんと笑ってから続けた。「そんなことはないさ。書くことで、救われる魂もある」。僕は安心する。溜まっていた不安とともに、息がすばしっこく抜けていく。「ただ」。彼はささやいた。「救われない魂もある。長く書き続けていても、壁に阻まれてしまう場合もある。先はない……最後には来る壁と線路のはざまで、死ぬことを考えるしかない」

 書くことは不思議なことだった。僕は書き続けていた。あるいはそれは自己療養だったのかもしれない。あるいはそれは心象風景の表出だったのかもしれない。後者の行為が自己療養だったのかもしれない。いまとなってはそれは問題ではない。迫りくる壁を前に、僕は筆をおいた。

 それはとても目が良くて、ずっと遠くから僕のことを見つけていたのかもしれない。僕が感知することのない、ずっと北の方にいて、雪のそばでこちらを見つめていたのだろう。それはゆっくりと、しかし確かな歩調で近づいていた。名前を冬という。

 始まりは突然だった。長い緊張のあとにおとずれたのではなく、隕石が地球を貫くように一瞬のことだった。ただ、僕が気がついたのだ。このように暮らしていても、まったくどこへも行けないと。考え付いたとき、僕は道路の端にいた。幹線から別れたわずかな道で、右手には川の道が、左手には線の浮き出たブロック塀があった。僕はブロック塀の側を歩いていた。思いついた考えを一度は否定した。そんなことはない、何も根拠はないじゃないか。まだ、努力し続けていれば、いつか転機はやってくる、と。ただ、否定を押しつぶすほど強い力が、僕を不安の渦へ引きずり込んだ。その力が何かは、はっきりとわからない。ただ、そのとき彼の言葉を思い出した。壁と、線路のはざまで……

 息が乱れていた。冬は夜空の奥深くにまで食い込み、あらゆる温度の余地を奪っていた。冬の夜は暗かった。白い息は様々な大きさをもって現れていた。息がひどく乱れていた。壁に手をやると、手袋の向こうから冷気が伝わってきた。鋭い礫のふれるとき、赤くなった指先に痛みがあった。しかし、感覚は薄れていく。

 精神的なものなんだ。そう考えていた。身体は大丈夫なんだ。そのはずなんだ……ただ、僕の身体はうまく動かなかった。錆びついたブリキ人形のように、運動はまったくなく、夜の冬に固定されていた。

 車がいくつか過ぎた。音もなく。預言めいたものを感じた。

 彼は僕のまえからいなくなるまで、いくつもの教訓を残してくれた。ブロック塀の隣で固まりながら、僕は彼のことを考えていた。しかし、顔も声も思い出せない。名前は無機質で、死んだ道標のように意味をなさなかった。

 また車が通り過ぎる。誰かが僕を気遣ったらどうしよう。そう考えた。きっと何も言えない、何も答えられない。相手を傷つけてしまうだろう。それからも車がいくつか通り過ぎた。アルミは輝いていたが、月は見えなかった。電灯は義務的に光っていた。僕はまだそうしていた。長いことだ。多くのことを考えていた。バイト終わりで、身体は疲れていた。家まではまだまだあったのに、なぜかそうしていた。そうせざるを得なかった。誰も僕に声をかけることはなかった。心配事は忘れられていた。

 僕は壁と線路のはざまに立ち、自分のやってきたことを考えていた。自分がやりたかったことを考えた。二つの始まりは同じだったが、着地していたのはまったく違ったところだった。頭も重く感じていた。肩には杭がうたれているようだった。息は小さく、難しかった。のどに握り拳ほどの息が溜まり続けていた。それは石のようで、ひどく冷えていた。

 最後に……雪が降った。気がついたらそれは降っていた。雪を境にして、僕はもう完全に動けなくなった。もうどこにも行けなくなっていた。夜は深く沈み続けていた。少しずつ人工的な光も消えていった。車もいなくなり、壁と線路だけが残った。僕はそのはざまにいた。

 これから少しずつ壁がやって来るのだ。そう思った。左手の感覚はなくなっていたが、それでもその先に壁があることがわかった。そして壁が形を変え始めていることもわかった。行き場がなくなるのだろう。線路はどこにも続いていないようだった。始まりもなく終わりもなかった。次第に冷たさは増していき、ある点のあとに死ぬことを意識した。

 道がまた現実の風景を取り戻した。あとには雪だけが残った。

階段の下

階段の下

 僕が引っ越してきたとき、彼はすでにそこにいた。ずっと前からいたのだろう。はだけるようにしてうらぶれていた階段の、その下に、大きな体を丸めて座り込んでいた。階段は道路沿いにある文化住宅のものであり、僕は帰宅のときに道路を通るだけだった。その階段、文化住宅と縁があるわけではない、まったくの部外者だった。ただ、夜の道を歩いているとき、どうしても彼の姿を見てしまうのだった。それまでは何も関係ない、日常の混沌にいるのだが、階段に近づくにつれて僕の思考は彼のところに集まってきてしまうのだ。それは不思議な感覚だった。いくら僕が他のことを取り上げようとしても、彼に関する意識はほんの小さな隙間から入り込み他のすべてを投げさってしまった。考えは否応なしに彼にとらわれた。しかし、なぜか不快な思いはしなかった。

 彼はいつも階段の下にいた。クリスマスのときも、雨のときもそこにいた。いつも黒のコートに、黒の帽子を身に着けていた。破けてぼろぼろになっており、コートは肩のところが完全に剥げてしまっているようだった。みじめなイメージを寄せ集めたようなその衣服は、夏は暑く、冬には寒く見えた。

 隣にはいつも瓶があった。時折それは割れていたが、いつもは水が入れられていた。瓶、そして水をどうしていたかはわからない。いつもうつむいていたからだ。

 僕は道路を通っていく間、彼のことを見つめていた。壁があり、電柱があり、開けた空間の先に階段と彼があった。やがてまた電柱があり、花壇へうつると彼は見えなくなった。

 彼を見つめている間、僕はずっと一人だった。そこは駅から続く二車線の道路であり、人の行き交いも少なくはなかった。昼過ぎには高校生が、夕日の沈んだあとには多くのサラリーマンが通る道だった。ただ、彼のところに行きつくまでに夜に隠されるようにして人の数は減っていき、最後には僕と彼だけが残っていた。車が通ることはあったが、無機質にゴムが擦れる音だけしか残らなかった。テールランプが過ぎると、暗闇と静けさが先程より深くなったようだった。

 僕は彼のことをずっと見つめた。通り行くわずかの時に、彼のことを考えた。彼はうつむくだけだった。屋根の落ちたあばら家のようだった。雨音が階段をうつと、つよくそう感じた。

 

 いったい、彼はどれくらいの間そこにいたのだろう……僕が彼女ができた夜も、大学を卒業した夜も……設計士になり、花屋の少女の目にわずらいを覚えた夜も……雪になりきれない冬の雨が降る夜も、彼はそこにいた。白い息遣いで生きていることがわかった。階段にさえぎられて、光のほとんどは届かなかった。夜は、死ぬには充分なほど暗く、階段の下はもっと暗かった……僕は海に行った……花屋の彼女にはホテルで待つようにお願いして。空は雲で詰められていた。僕は一枚ずつ衣服を脱いだ。誰もいない浜に雲の鈍色が落ちていた。そっと体を海に浸し、奥にまで進んでいく。そして、沈んでいく。だが、息が苦しくなるまで深く潜っても、まだ足りなかった。光は呪いのようにまとわりついてきた。息を整え、もう一度潜った。だが、足りない……海の底には大きな石だけが沈んでいた。あとには何もない。ただ、黒い石だけだ。

天から降ってくるものども

あたまがかたい、れんがの、ように。

あたまがかたい、れんがの、ようだ。今日は予定がなくなったために一日を家で過ごしていた。もちろん外に出てもよかったのだけど、足がぱりぱりの筋肉痛で、まるで動けやしなかった。窓向こうの雲を数えることが、今日の僕のせいいっぱいだった。

 

こうした作文も含めて、何かを書くときにはやはりアイデアが必要だ。アイデアは希少である。求めているが、なかなかやってこない。人にもよりけりだが、まったく思いつかないなんてこともあるかもしれない。自由創作の機会において、どうしようもなく困ってしまうときがあるかもしれない。

そして、今日はそのアイデアがまったく枯渇してしまっている。本当にゼロなのだ。枯れてしまったオアシスなのだ。雨が降ればまた湧き出るが、それまでは乾き続けるのだ。そう、作文に何を書けばいいか、まったく思いつかないのだ。まあ、何を書かなくてもいいのだけど。

 

ということで、今日やったことを書こう、と思う。

今日は音楽を聴いていた。いつも通りだが、非常に健やかな過ごし方だ。

まず、バンド・エイドの「ドゥゼイノウイッツクリスマス?」を聴いた。すごく良くて、ちょっと泣いた。それからいくつかクリスマスソングを聴いた。外では雪が降っていた。「ドゥゼイノウイッツクリスマス?」の他にはジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」が良かった。

なんというのだろう。この二曲は、あまりクリスマスを念頭に置いていないのかもしれないと思う。クリスマスという舞台のうえで、他の伝えたいことを歌っている、少なくとも僕はそう聞き取った。ただ、伝えたいことはクリスマスの夜に匹敵するほど素敵なものに違いない。

 

「ドゥゼイノウイッツクリスマス?」

youtu.be

 

バンド・エイドのつながりで、ライブ・エイドに関する記事を見ていた。十回くらい映画「ボヘミアン・ラプソディ―」の話題が出てきたので、ライブ・シーンを見返した……いったいどうしてこれほど素晴らしいのだろう? そう思った。映画のものと、実際の映像をそれぞれ見た。これも極めて素敵で、少し泣いた。今日はよく泣く。

 

それからパスタを茹でて、「FEZ」というゲームをした。どちらも平凡だった。それからちょっと眠り、欠伸で泣いた。アジフライをとなりで買ってきてレンチンをして食べた。作文のアイデアを考えてみて、諦めた。平々凡々な一日だった。

 

千字に足りない。千字は欲しいと思う。千がいい数字だと考えているからだ。ミレニアムが好きであり、千も好きだ。ミレニアムの夜に、アイロンをかけていたい。

そして千字になったので、三尾目のアジフライに取り掛かる。じゃあね。

バスのスケッチ

バランス

僕はけっこうお気楽な人間だ。たいていにこにこしてるし、なんでもゆるくやっている。生き方はかなり独善的で、まちがっていたとしても「まあいいや」の考えですぐに次に進む。そんな人間だ。

というのはじつはうそだ。僕はけっこう危うい人間だ。ただ、多くの人には上記したみたいに見えるらしい。僕が何かにつけてナーバスになっていることなんてまったく信じられないらしい。少なくとも教授には驚かれた。「まさかひつじ君がそういうふうになるなんて」そう言われて、僕はちょっと笑ったけれど、やっぱりつらい部分もあった。

そして今日はそのバランスが崩れてしまっている。この文面もある種明るく見えると思う。だけど、実際にはぐらぐらと揺れて、均衡の感覚を失っている。安定していない。

そういうとき、僕はひどく不安になる。小説を書けなくなってしまうし、読めなくなってしまう。ゲームさえできないし、人と話すことはとても恐ろしく感じる。そして、音楽が、つまらなく聞こえる。これが一番つらい。音楽を聴きたい。

 

あまりこういうことは言いたくない。だってつまらないだろう? そう考えるからだ。少なくとも人に読ませるべきではない。僕の中で片付けてしまうべきだと思う。だけど、こう書いているのは、それは言い訳のためだ。つまり僕が言いたいのはこうだ。

「今日は調子がよくないから、昔書いた文章の切れ端を、作文とさせてください」

ということだ。

 

ところで……友達を募集しています。

 

バスのスケッチ

 夜の雪は巨人のように降りそそいでいた。スイミング・スクールをあとにして、ほとんど貸し切りの送迎バスに乗った僕は車窓から雪の姿を見つめていた。雪。それはあたかも世界の常識のようなものであって、人生の幾つもの場面において繰り返されてきた言葉だったけれど、まじまじと雪の降る光景を見つめたのはそのときが初めてだった。夜の街をゆっくりと抜けていくバスがあり、しとしとと降りかかる雪の粉があった。ミレニアムを前に控えた僕の街は、たくさんのネオンで色めいていた。ときに色はミドリで、ときに色はレモンだった。青に変わったかと思うとまぶしく輝きだし、文字の点滅するとなりで闇の一団がちぢこまっていた。雪のうえにはそんなネオンの色が広がっていた。赤、エメラルド、スカイ・ブルー、ロイヤル・パープルにバイオレット。さまざまな色が踊っているようだった。小さな雪はダンス・ホールで、すれ違う車のびゅんという音はプログレッシブなディスコ音楽だった。車窓越しの世界は美しく、僕は湿ったプール・バッグの隣で夢を見ていた。暖房が車内に効いてくると、窓にはあちら側とこちら側の温度差によって白いもやがかかりはじめた。そっと指でふれると、窓には扁平形の指紋が残った。バスのおじさんは萎んだ頬で笑いながら窓にさわらないでね、と言った。濡れてしまうとあとが大変なんだ。それでも僕は窓に触れていた。べつに聴き分けが悪い方ではなかった。ただ、こんなに輝かしいものがあった事実を、それまで知らなかったのだ。

 ただ、この話をしても、誰も僕を信じてはくれなかった。たしかに次の朝になると雪はやんでいた。そして積もってもいなかった。アスファルトのうえに伏して、とても近いところから道路を見つめてみても、雪は残っていなかった。よろよろと立ち上がり、肌に沈んだ黒い塵を払い落した。白い顔がすこし赤くなっていた。だが、すぐに元に戻った。冷たさだけが僕に残るその経験は、これからの行き先を暗示しているようだった。