大西羊『作文集』

作文を書きます。小説も、書くかもしれません。

眠れる森の美女の城(嘘)

眠れる森の美女の城(嘘)

取り立てて、という話ではないのだけど、やはりディズニーはすごく人気のコンテンツであるために、ファンの数も到底多い。だから、今回は先に嘘であるということを示しておく。これから書くことは(まだ決まってないのだけど)眠れる森の美女の城と実際的な関係をもたない話であることを、了解してもらいたい。

なんだか物騒な書き出しになったけど、べつに大きな話をする気はない。もっと言うなら、僕としてはすごく小さなところから話をしたい。たとえば今日はファンタのオレンジを買った。水が好きで、いろんなものを飲んで暮らしている僕は、さまざまな種類の飲み物を飲む。ファンタのオレンジに限らず、グレープ、コーラ、コーヒー、ミルク、ウィスキー、メロン。いろんなものを飲む。つまりファンタのオレンジはその一端に過ぎない。ディズニー・ランドのその角の、ミッキーの家といったところだ。

確認しておくが、いまの表現も嘘だ。僕はディズニー・ランドに行ったことはあるが、ほんのすこしで、ミッキーの家が実際にどれくらい求められているかなんて、まったく知らない。もしかしたらミッキーの家がディズニー・ランドの心臓部なのかもしれない。扉がどくどくと脈打っている。

カリフォルニア・アナハイムのディズニー・ランドを訪れたのはずっと古い時代のことだ。僕はスプラッシュ・マウンテンが好きで、日に三回は乗った。また、眠れる森の美女の城も好きで、長いとこ頭の中で内装のことを想像していた。光の角度とか、細やかな色のことも考えていたから、けっこう神経を使って疲れてしまった。もちろん楽しかったけどね。

さっき心臓部のことを話したけど、あれは嘘だ。もちろんこれは全部嘘なんだけど……やはり心臓は眠れる森の美女の城だろう。そう思う。壮麗という言葉なんて、あまりにも仰々しい感じがしてなんだか疲れてしまうけれど、眠れる森の美女の城はぴったり壮麗といった具合だ。ファンタジー・ランドのこつこつとした道を行って、先の終わりの細くなったところに、門がそびえている。右手にはヒヤシンスやゼラニウムの花々が、左手には不思議な模様に刈り込まれたオークの木々が、奇妙なバランスで立ち並んでいる。門はじつに大きく、ディズニー・ランドの喧騒さえを圧倒している。

また、夜には光が灯る。星をそのまま下ろしてきたように、城のあちこちに装飾の明るさがちりばめられている。実際的には夜だが、世界においてはそれは夜ではない。花火があがり、城壁が高くある。城壁の白は上の暗がりから流れてきたようだった。ホテルの遠くからでも魔法の力を感じていた。目に見えない広がりが人々の心をうっていた。

そのときから真剣に魔法のことを考えるようになった。子どもながらに。不思議な話だけど、そうだった。現実的に魔法のことを考えていた。そのころからあまり感傷的とか、感動的なことよりは、事実の中にある煌めきに興味を持っていた。

ファンタのオレンジを飲みながら考えるのは、そういった現実的な煌めきのことだ。大阪の夜に見る眠れる森の美女の城だ。実際にそんなものは存在しない。夜には夜の世界があるだけだ。空に城はなく、星も少ない。ただ、目に見えないものがそこにある。それがわかる。肌の感覚で理解できる。

 

話をでっちあげるのは好きだ。ただ、想像していると、本当だったらよかったのになあ、と思うことがある。実際に僕も眠れる森の美女の城を見に行ってみたいと思う。人が多そうだけど、わくわくする。ちょっと考えてみてください。夜空を見ながら、そこに眠れる森の美女の城の姿を書いてみてください。どれだけ綺麗に想像できましたか? よかったら教えてくださいね。