大西羊『作文集』

作文を書きます。小説も、書くかもしれません。

長い間妖精の底に。

まず胸にこみあげてくるもの

いつのまに暗くなってしまったんだろう。そう考える。夜はとても静かな存在であるのだ。テレビでゴールデンの番組が始まる。酔っぱらった学生のわめきが空にひびく。夜に足音がないことを思い出す。足もないし、頭もない。腕も、光を受けた後にのこる暗い影もない。夜はほとんど幽霊のようだ。ずっとまえに死したのだが、いまもこのようにしがみついている。なぜか風も月も夜を祓うことはできない。世界最大の呪いをとくことは誰にもできない。静かに闇は降りかかる。細かいちりのかたちをとって、すべての人に魔法をかける……

そういう考え方が許されてもいいだろう。もちろんのことだ。

のらり、くらりと、ススキのようにして一日を暮らしていると、ときどき胸にこみあげてくるものはある。大抵は空気の塊がぐっと僕を押し上げたものだ。つぎにあくびの感覚。そのつぎにどきどきする感覚。とくになんとか乗車できた電車の中では、ひんぱんにどきどきしている。

そんな胸にこみあげてくるものが、もし妖精だったなら素敵なんじゃないかなと思う。ちょっと変な考えかもしれない。しとしとと雨の降る日に牛丼屋で牛丼を待っているとき、僕はカレーを食べている人に対して変に思う。どうしてこんなに美味しい(あるいはまずまず美味しい)牛丼があるのに、カレーを食べなくてはならないのだろう、と。もちろん彼らが牛丼を必ず食べなくていけないということはない。選択は自由である。許されているわけではなく、選択は誰からも縛られていないから自由なのだ。それと同じだ。げっぷとか、あくびとか、そういった胸にこみあげてくるものが妖精だとしても自由なのだ。

 

今日、もう少しおもしろいことを、本当は書きたいと思っている。だけどきっとむずかしい。そういう日なのだ。諦めてます。

眠い。身体だけをたくさん動かすとかなり疲れる。だが、頭は疲れていない。動かしたのは身体だけだから。そう考える。だけど、実際はそうではない。ちょっと頭から、すすすと下がっていくようにして、肌のうえで手を滑らせてみてほしい。すると、頭と身体がつながっていることがわかるとおもう。人間には首という器官があり、それを可能にしている。ゆえに……頭も疲れている。ふう。水を飲む。

妖精と遊んでみたいと思う。僕の考える妖精はだいたいドイツの暗い森の……中世の暗い森でもいい。そんな感じだ。妖精は葉が擦れるように笑い、いたずらに僕の髪の毛をちぎっていく。そういう妖精と遊んでみたいと思う。まずは遊ぶために彼女たちの気を引く必要がある。トンテキとかでいいだろうか。あちあちのフォッカチオのほうが優れているかもしれない。とにかく、そのような考えをしている夜だった。とくにちりみたいなものは見えなかった。目が悪いためかもしれない。