大西羊『作文集』

作文を書きます。小説も、書くかもしれません。

たまの休み。作文の感想。

たまの休み

さいきん、へんに忙しい。めっぽう忙しいというわけでない。とことこと忙しくなったり、ぱたりと暇になったりしているのだ。総括としては忙しい。このパターンがなかなかのくせもので、僕にはうまく流れがつかめない。そのせいで下手に消耗してしまっている。もっと器用にやれたらいいのだけど、僕は不器用なたちなのだ。あんまり器用にはやれやしない。まあ、そこが、僕のいいところでもあるんだけど。

だから(というのはおかしいけれど)休みがあってもいいな、と思う。作文の休み。三時過ぎのシエスタ。休みといっても、べつに期間をとって休むわけじゃない。その日をポイント的にお休みするだけだ。そういうのもいいかもしれない。身体を動かして鍛えることも必要だが、休息なしには壊れてしまうかもしれないから。

まあ、そう考えてはみたものの、べつに休む必要はないな、ということになった。だって、作文なんて、結局のところ作文でしかないのだ。もちろん力をいれてぐっとやりこんでもいいのだけど、こういうふうに、脱力的に、ろば肉をつかった料理みたいに、だらだらとしてもいいと思う。これくらい状況に即した作文が、とってもいいのだ。自由であることとはつまり、どんなかたちにもなれるということである。そう。浮かぶ雲みたいにね。

浮かぶ雲が素敵に見える。立秋をまえにしたこの時期には、ほりの深い雲たちに、くっきり影が張り付いている。

 

作文の感想(あるいはみみず)

じつは、作文をやりつづけてだいたい一カ月たつ。早いものだな、と思う。一カ月なんてほんとに些細な時間なのだ。あのときからやろうと思っていて、結局できていないことがたくさんある。しなければいけないのだけど、なんだかぐだぐだしてしまって、考えているうちに日が暮れる。それを繰り返して一カ月。もちろんやらなくちゃいけないのだけど、まあ仕方ないとも思う。明日にやってしまおう。そう思う。うん、きっとまたぐだぐだしちゃうんだけど。

昔、みみずを飼っていたことがある。金魚の餌として。みみずはいつも土のはしっこでぐだぐだとしていた。逃げ出そうとしているようには見えなかった。もちろん逃げ出せはしないし、結局餌になってしまったのだけど、それでもただただぐだぐだしているところは奇妙に思えた。もしかしたら僕も、いつか金魚の肉になるのかもしれない。

金魚の美しさは秘めたるみみずの美しさ。

 

音楽のコーナー

作文の感想について書こうとしていたのだけど、書いていない。僕らしいな、と思う。とりあえずこのへんで音楽のコーナーを挟んでおきたい。このコーナー、自然発火的にうまれているのだけど、けっこういいコーナーじゃありませんか? 僕はとにかくそう感じています。まるでラジオのDJみたいで、やってるほうは楽しいです。素敵な音楽ってほんとにたくさんあって、それを紹介するのはうきうきします。僕がおすすめする音楽たちで、ちょっとでもいいんです、みなさんの生活に(あるいは僕の作文に!)彩りが生まれれば、じつに嬉しく思えます。

 

「フォー」

youtu.be

 

スタン・ゲッツのとても軽快なジャズです。彼は緩やかなメロディを捉えるのが非常に巧みです。もちろんそのメロディはまったくおしつけがましくありません。丁寧に歳を取った木製の家具のように、軟らかい暖かみが感じられます。

 

作文の感想(ほんとに作文の感想)

作文は成功した、と考えている。あるいは成功している。読まれるとか、収益化とか、そういうことでは断じてない。作文が役立っているのは、僕の健康に対してだ。

なにかを伝えたいと考える僕にとって、書くことは欠かせない手段である。伝えるほかにも、僕は書かないことにはうまく物事を捉えられないので(スタン・ゲッツのように器用にはやれないので)そういう面でも書くことは役立っている。空が青くなければいけないように、書くことは僕にとって欠かせないもののひとつである。

ただ、それと同時に、書くことはむずかしい……真剣にそう考える。とくに書き続けるなんて、まるでできないように思える。求めているものがあっても、それをずっとそばに置いておくのはなかなかできない。一度も手に入れられないこともある。

それゆえに、作文とは非常に優れている。他の人のためなく、僕が僕のためにできること。きちんとした力の入れ方。早起きしてランニングをするみたいに、僕は言葉を走らせる。習慣はやがて確かな筋肉になり、僕を足元から支えてくれるだろう。

もちろんネガティブな面もある。ただ、僕はこう思うということだ。個人の考えは、よい。みみずもきっとそう考えている。

 

おわり

さいきん、作文を終わらせるのが難しい。鱒の切り身みたいに、ぶつっとやってしまってもいいのだが、それではなんだか後に残る。やるならば、きちんとやりたい。でも、もちろん大変でもある。さて。僕はどっちをとるべきなのか……

まあ、とにかく、今日はこのへんで終えておく。ちょうどいま、俳句の授業をうけているのだけど、明日は朝から遠くに行かなくてはならないのだ。現実の景色を眺めて詠む俳句は、たしかにけっこう楽しそうだけど、やっぱり朝はきついものだ。お昼からがいい……でも暑い。だから早めに眠らないといけない。

ということで、今日はここでおわりにする。今日のこれは、とても脱力してやれた気がする。僕に食われたろばも、金魚に食われたみみずも、きっとうまくお休みできただろう。そんなふうに思っている。

一年前から風鈴がわが家にある。ぱたぱたと風に吹かれてかわいらしい。僕もふうりんみたいな人と仲良くしたい。夏の夜風を感じていると、そんなふうに思える。ちょっと、ロマンチックに。かなり、脱力的に。