銃の撃ち方(バン・バン)――その②
前回のつづきです。
イーグル・ハンド
前提として、この世界はけっこうタフである。
僕たちはいつもいつでもある種の試練に脅かされている。試練というとちょっと大げさがすぎるかもしれない。選択だ。僕たちはいつも何かを選び取って生活している。そこには試練の要素もあるだろう。
そして、何かを選びとることとはつまり、何かを諦めることでもある。僕の言っていること、わかるかな? 選ばれたものがあるってことは、諦められたものがあるってことだ。
選ぶことも重要なのだが僕は諦めることこそが重要だと思っている。過ぎていった季節や、昔の恋人と同じで、一度諦めたものはもう二度と帰ってこない。諦めたものは完全に失われてしまうのだ。あのときカフェに行けばよかったな。あのとき授業に出ていればよかったな。あのときLINEで女の子をデートに誘えばよかったな。それらは記憶の中にしか残らない。取り戻そうと努力しても、手の中に戻ってくるのはとても近しい何かであって、決してそれではない。諦めたものは色を失い死んでいく。冷たい記憶と雨だけがあとに残る。だからこそ僕はこうして主張するのだ。何かを選びとることとはつまり、何かを諦めることである。そして、諦めることの方が、選びとることよりずっと重たい。
だからこそ、僕らは賢明に選ぼうと(あるいは諦めようと)する。それもかなり熱を入れてね。でも、うまくできない。僕たちの選択はいつも間違っている。本当に手に入れたかったもののはこれじゃない。本当に手に入れたかったもの、それはいま他人の手の中にある。そういうことってありますよね。そういうことばかりかもしれない。
知識をつけるのはそのためだよね。手に入れるため。間違えないため。
……なんだか長くなりそうだな。僕はそう思う。
うわ。もう2000文字も書いている。400文字でいいのに。こういうとこ、僕ってだめだなあ。
ところでこの写真、けっこうよくないですか?
ちょっときもちわるいところが、とくによいと思います(褒めている)。
さて。閑話休題。話を戻そう。(閑話休題の使い方って、難し過ぎやしませんか?)
僕が言いたいのはこうだ。
A)選ぶこととは諦めること。選んだものは残り、諦めたものは絶対に帰ってこない。
B)選択は重要だ。だけど僕たちはいつも間違えてしまう。
C)だから知識をつけて、賢明な選択をしたいと思う。
D)女の子、あるいは女性というのはとても素晴らしい存在である。
問題はCとDにある。
C→知識をつけているのに、選択を間違ってしまう。どうしただろう?
D→素晴らしいことと同時に、手に入りがたい存在である。どうしてだろう?
下記ではCについてを記述する。Dについては僕も困らされている。
優れたガン・マン
僕たちはだいぶたくさんの知識、つまり銃を持っている。本で見つけたものや、人から聞いたもの、自分で考えたものもあれば、サンタさんがくれたものもある。知識がまちがっている、合っているなんて誰にもわからない。わかるのは、そういった知識はとても貴重なものだということだけだ。
ただ、貴重であると同時に、それらは本当に星の数ほど転がっている。毎日、毎時間、毎秒僕たちは新しい銃、知識と出会う。そしてそれを武器庫に入れる。そんな生活をしている。
だからこそ、銃を撃つ場面になって銃の撃ち方がわからなくなってしまう。正しさの兎が現れたのに、そいつを射止めることができなくなってしまう。あれ? この銃ってどうやって撃てばいいんだっけ? と、なるわけだ。そして僕らは闇雲にトリガーを引く。だが弾は発射されない。あれ? あれ? そうしているうちに正しさの兎はぴょんぴょんと跳ねていく。やがて兎は雑木林にどぼんと逃げ込み、僕らがのぞき込んでもそいつはもうどこにもいない。逃してしまったという事実のみが残る。
僕らが本当に知るべきこと。それは未知と出会ったときに、どうやって扱うかということだ。新しい銃をどうやって撃てばいいか研究することだ。もちろん、出会ってすぐにできるものではない。長い時間をかけてやることなのだ。だから日頃から研究しなければならない。正しいことを選び取るために。僕も、君も、またあのときのようにまちがった選択なんてしたくないだろう?
もちろん、それは大変なことでもある。僕らは何千、何万といった知識それぞれに対して、そのような使い方を知っておかなきゃならないから。
ただ、それは数学に似ている。一度解き方がわかれば、近しいものはどんどん解ける。公式に当てはめていくみたいに、ひとつをきちんと理解すればあとはせっせと書き込んでいくだけだ。
だからこそ、どの銃の撃ち方も知っておかなければならない。僕はそう思う。ひとつをしっかり知ることで公式が手に入るように、ひとつもしっかり知らなければ公式はわからない。うわべだけでは公式はわからず、必要な場面が来てもどれも役に立たない。この銃はこうやって撃つ。これはこう。あれはあれで、それはそう。しっかり、きちんと理解すること。それが重要なのだ。新しい類推のときにぱっと解けてしまうようにね。
今日も僕は銃を取り上げては、それをじろじろと眺めまわして研究している。押したり、引っ張ったり、つっついたり。小説の前に向かってそれを撃ってみたりする。きちんと撃てているかどうか確認する。こつこつとそれをずっとこなしていく。
優れたガン・マンはかっこよくない。ちょっとださい。これって決まった銃はないし、(ユーチューブで見ればわかるけれど)だいたいお腹がぽっこりしている。ただ、彼らはどんな銃でも軽々あつかう。バン・バン。バーン。たとえ、どれでもね。その器用さこそが彼らが優れている証であり、本当のガン・マンたる威厳を感じるところだ。
長くなってしまったけど、僕はそう思います。
ばん・ばん。